一生懸命努力する。
良い言葉です。
頑張っていると応援したくなりますよね。
ですが、
一生懸命努力しているだけでは成功しません。
なぜ一生懸命努力するだけではダメなのか
一生懸命努力している姿は見ていると、とても心惹かれるものがあります。
でも、それだけでは成功は出来ません。
一生懸命努力すると、まわりが見えなくなることがほとんどです。
なぜ、努力をするのか。
周りの人に良く見られたいから、テストでこんな点数とりたいから。
まわりの人に良く見られたい気持ちがあるのに、周りが見えてなかったら何が良いのか見失います。
例えば、幸せそうに見られたいからといって、幸せな写真撮ることに一生懸命になったとします。
一緒に旅行に行った友達の反応を見ることも、気づくことも忘れて撮り続けることは果たして、幸せになりたい人がとる道筋として正しいでしょうか?
きっとそれは違うでしょう。
そのような普通なら気づけることも、一生懸命やると見落としが多くなります。
同じことで、テストで100点取りたいからと、教科書だけ一生懸命やっても、おそらく100点は取れないでしょう。
テストは教科書からしか出ないわけではありません。
努力するだけじゃなくて工夫をする
努力を一生懸命にすると、加減はなくなります。
一生懸命70%の力でやりますなんて人はいません。
でも、一生懸命努力してまわりを見えるようにするにはどうしたら良いのか。
それは、工夫をすることです。
自分の服を目の前に置かれて、さぁ、これをキレイに洗うんだ!
と言われて、その場にあった、タライと洗濯板で手洗いして一生懸命努力するよりも、家に持って帰って洗濯したほうがよいわけです。
一生懸命やったとしても、ここで手洗いすることは、
無駄な努力です。
この無駄な努力を変えない限り、一生懸命努力しても結果がついてこなくなります。
手洗いしている横で洗濯機使われたら、差はあきらかです。
努力の方向性を見つける。
目の前にあるものを疑うことです。
洗濯板とタライが置いてあっても、洗濯物を手洗いすることが目的ではないことに気づかないといけません。
目的は服をキレイにすることです。
この場面で洗濯機を使うことが工夫になるわけです。
ただ、それには洗濯機の存在を知らなければいけません。
まわりを見て情報を得なければいけません。
ただ、一生懸命やっているときに、ただ漠然と周りをみるのは難しいです。
なので、「工夫」です。
まわりを見ろ!と言われれば周りを見るでしょう。
でも、工夫をしろ!といわれたらどうですか?
なにも前情報がなければ、「工夫ってなんの?」となるでしょう。
つまり、工夫は何か一つのものを対象に発展していきます。
周りを漠然と見るよりも、工夫が大事です。
その過程でまわりを見ることが必要になることもありますが。
一生懸命努力している間は、工夫を意識しながら行動すれば良いと思います。
工夫をして、必ずしも変えなければいけないわけではありません。
ダメなら戻す。
良いなら続ける。
トライ&エラー(Trial and error)です。
ただ、相当な努力量がないと目的に間に合わないかもしれません。
そのための一生懸命努力です。
それは、勉強、仕事、スポーツなんでもそうです。
工夫を忘れずに、一生懸命努力してください。
ちなみに、洗濯板に特に恨みはありません(笑)
以上、ヒラマンでした。
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